htnki’s diary

たまには叫びたい事もあるさ

何で死んだらいいですか?

コロナ渦の中、メディアに脅かされ洗脳され、すっかりコロナ脳になってしまった人達の意見をTwitterで見ていて思うことがある。

 

彼らは生きることは死ぬことであるということを忘れてしまったのだろうか。

 

彼らの言い分はこうだ。

「あなたの大切な人がコロナで死んだら嫌でしょう?」

 

私にとっては半分は正しくて半分は正しくない。

 

大切な人の死、例えば夫や子供が死んだらめちゃくちゃ悲しい。

だが、これは死んでしまったことが悲しいのであって、コロナに限らない。

 

もう少し言うと、コロナで死ぬほうが精神異常犯罪者に襲われて命を無理矢理奪われて死ぬよりも、まだ心の整理がつくかもしれない、と思う。

 

人間は生まれたなら死ぬのである。

人間の死因は概ね病死であることから、病気で死ぬことはある意味天寿と考えることができる。

 

「新型コロナは中国で作られた人為的なもの!」

といって、これは人為的な死因であると言う人もいるだろう。

しかし、ウイルスなんてのは簡単に変異して常に新しい形であると言えるし、

気づいていたときには新型インフルエンザが広まっていた、なんてのも日本人はつい数年前に経験したばかりだ。

大人だって冬場になれば一度は喉がイガイガして、ウイルス性もしくは細菌性の風邪を疑うことがあるだろう。

 

つまりウイルスによる感染症は地球の自然界で生きる上で必ず取らざるを得ないリスクであるのだ。

 

だから必ず訪れる死を受け入れまいとして、コロナだけと戦うことはナンセンスなのである。

 

本当に感染症による死を恐れて戦うならば無菌室で生きるか、ウイルスや細菌を撲滅するかしかないが、

地球上でのウイルスや細菌の働きを少しでも調べたならば、彼らなしでは人間の生活は成り立たないのはすぐにわかる。

例:体内には何種類もの細菌が住んでいる

 

 

よく考えてほしい。

すごく根本的なことを。

人間が自然を利用しているように見えているが、実は人間が自然のサイクルに組み込まれているだけだ。

 

人間はやはり自然の一部なのだ。

最後は誰も彼も土に帰る。

 

それを忘れて新型コロナだけに怯えてはいけない。

コロナで死ぬことを悪としてはいけない。

いずれ死にゆく我々にコロナにかかった人を悪として石を投げる資格などない。

 

大切なのは時限式の人体をどれだけ有効に使うかだ。

怯えたら怯えた時間だけ無駄にしている。

 

ちょっとしたリスクマネジメントをする。

年間死者3000人の新型コロナを恐れて里帰りを拒否した翌日の風呂場で年間死者17000のヒートショックにより死亡する。

 

単純にヒートショックのほうが遥かに死ぬ確率が高い。

なら最後に孫やら娘やら大切な人に会っておいた方がいいとは思わないのだろうか。

 

大切な人が持病を抱え余命いくばくもないならば、感染対策を行った上で、地上の美しさ、人間として生まれたことの意味を感じさせて上げてほしい。

いや、どちらかというと、もし私がそういう死に際であれば、生にしがみついて家に閉じこもるよりも、楽しいことをしたいだろうなぁと思う。と言ったほうが正しいかも。

ココらへんは個人の自由である。

 

ただただ、コロナに異常に怯える人に、

死ぬことは悪い事ですか?

あなたは何で死んだらいいですか?

あなたの家族は何で死んだら心休まりますか?

と聞きたい。