htnki’s diary

たまには叫びたい事もあるさ

教育論について思うこと

先日、といってもかなり前のこと。

この事件をネットで見た。

togetter.com

 

 

世間の反応は

「かわいそう」

「早く逮捕して」

「保護してあげて」

などなど。

 

しかし私の第一印象は

「お母さん手加減してる」

であった。

 

なぜわかったかというと、私もまた叱るときに子供を叩くからだ。

批判はあるだろう。

だが私は私の子育てを全うすると決めている。

 

 

確かに世間では『虐待』による痛ましい事件が起こっている。

テレビやネットを通じて入ってくる事件に関する情報は、聞くに堪えないくらいのものが多い。

 

だからなのだろうか。

体罰』=『虐待』

この式が成り立ってしまっている。

 

いや、待て、と。

虐待と躾は全然別でしょう、と。声を大にして言いたい。

 

まずはwikiで『虐待』を調べてみる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%90%E5%BE%85

 

重要なのは最初の一文だ。

そう。

親が批判されるべき虐待とは、逃れたくても逃れられない日常的なハラスメントに当てはめるべきなのである。

 

母親業をしていればわかるのだけれども、

子供に絶対に言うことを聞かせなければならないこと。

というのが存在するのだ。

また、母親だってイラっとすることがある。

母親は教師じゃないのだから、感情が高ぶることがあって当然だろう。

 

だから私はツイッターのその動画を見たとき、母親へ同情してしまった。

 

子供のほうはたぶん大丈夫だろう。

もし虐待されていたら「弟の虐待動画をスマホで撮影しツイッターにアップする」なんて芸当はできないだろう。

本当に虐待されている子もしくは兄弟児はスマホなんて触らせてもらえないし、SNSなんて知らないはずだ。

また逆に考えると、SNSにアップするなんて悪知恵が働く兄貴の弟だ。

母親をてこずらせることもままあるだろう。

まあいろいろと察する部分がある。

 

だから、子育てを知らない人たちがその動画をみてあーだこーだいうのが本当に許せなかった。

大抵の場合、あーだこーだいうのは若い世代が多く、子育てというものを経験していない。

正義の味方ぶって、虐待だ虐待だ騒ぐのを見ていると虫唾が走る思いだ。

 

 

同じように巷の教育論者とか教育評論家、子育てアドバイザーなんてのもちょっと胡散臭いと思っている。

「子供は叩かずに育てる云々~、勉強は云々~」

なんて言っているのを見ると

「ほんとかよ。。。」

と思ってしまっている。

なぜなら、私はその教育論者の子供がどのように育っているか、育児教育の結果及び成果を見ていないからである。

 

例えばちょっと昔に

尾木ママvs佐藤ママ』

なんてのがあった。

尾木ママは佐藤ママにかなり感情的に反論していたのが印象的である。

※これはそもそも語る土俵が違っていたと個人的には思う。

尾木ママは子育てを論じているのに対し、佐藤ママは家での学習方法を語っていたからである。

 

どちらが正しいということはないだろうが、実績として、

佐藤ママは東大に子供を進学させた。

一方、尾木ママの子供は見たこともないし、話しに聞いたこともない。

教え子も見たことがない。

 

子供の教育結果が見えている佐藤ママと子供の教育結果の見えない尾木ママ

 

どちらが信用するに足るかは一目瞭然である。

 

 

つまるところ私の考える教育論とは

自分の子供の子供、つまり孫が犯罪を犯さずにきちんと立派に成人したときに、自分の子育ては正しかったか正しくなかったかを論ずることができるのではないかと思っている。

 

だから今子育て真っ最中の母親同業者も、教育関係者も、ましてや成長期の真っただ中の若者も子供たちも

他人の教育を論ずるに値しないのである。

 

人の人格形成は結果論でしか語れない。

 

親が叩かなかったから悪人になった人もいるかもしれないし、

親が叩いたから聖人になった人もいるかもしれない。

 

逆に、子供のほうも、

叩かれるほど性根ねじ曲がった本質をもって生まれてきたのかもしれないし、

たたく必要がないほど素直で物覚えのよい性格で生まれてきたのかもしれない。

 

だから私は尾木ママみたいに

「叱らず躾」

なんて正義の定型文を発している人間も、

虐待のニュースに過剰反応する人間も、

それを嬉々として報道しするマスコミも、

大嫌いなのだ。